sisiのなんでも広場 76505


暑中お見舞い申し上げます

1:ぱられる :

2013/07/09 (Tue) 15:11:09

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1373350270.jpg 暑中お見舞い申し上げます
2:sisi :

2013/07/20 (Sat) 21:07:01

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1374322021.jpg 私からも暑中お見舞い申し上げます。
涼しくなるイラストが魅力ですね。


扇風機をあてて寝てる蛙さん。
3:sisi :

2014/06/28 (Sat) 09:10:04

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1403914204.jpg ヘッドフォンに蛙、
4:sisi :

2014/07/05 (Sat) 15:05:25

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1404540325.jpg 花火にイタチ。
たまやー!!
5:sisi :

2014/07/12 (Sat) 10:09:16

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1405127356.jpg プードルにコーヒー。
6:sisi :

2014/08/13 (Wed) 23:38:45

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_499400/499393/full/499393_1407940726.jpg 半沢直樹を見るぞうさん。
7:sisi:

2020/12/06 (Sun) 16:37:57

面白い話あります。
「おすわり地蔵さま」
 山形県西置賜郡
むかし、羽前国(山形県)の朝日山の麓の小さな村に権兵衛と言う夫婦ものが住んでおった。
村のそばを、一本の川が流れておった。この川はひどい暴れ川で、毎年のように大水が出ては、村の田畑を押し流してしまう。
村人たちは、ほとほと困っており、どうすることもできなくなった。
その年もまた、大水が出て、せっかく実った田畑が、泥の海になってしもうた。
権兵衛は、泥田をぼんやり眺めておるみんなに、「堤防作るぞ。そうすれば、泥田にならずに済む。」と言うだが、
村人たちは、「堤防など、いくら作ったって、大水が出れば、たちまち流されるに決まってる。無駄なことだ。」「堤防は作るといっても、一体、何年かかる気だ。」
と言って、誰も相手にしてくれませんでした。
ところが権兵衛夫婦は、それから毎日、二人だけでモッコを担ぎ、堤防を作り始めた。村人たちは川の岸で、二人を横目でみては、「無駄な事だ。」と、笑っておった。でも、1年が過ぎ、2年が経つと、堤防は堤防は、少しずつできてきた。
「えらいもんだ。塵も積もれば山となると言うが、人の力は恐ろしいもんだ。」
「オラも手伝う。」
と、一緒に力を貸してくれる人が、1人増えて、2人増えて、3年目には30人にもなったので、堤防は、ぐんぐん伸びていきました。
といっても、長い川岸に、堤防を築き終わるには、あと何年かかるかはわからない。やがて村人たちは、気長な仕事にあきれて、次の年には、1人減り、2人減りしていき、5年目には、また権兵衛夫婦の2人きりになってしもうた。
そして、7年目の秋、ひどい雨風が続いておった朝の事でした。「大水だ。大水だ!」と言う声に、村人たちが飛び起きて、表に飛び出すと、「堤防が崩れる!このまま崩れる!」と、権兵衛と母親が、気が狂ったように、堤防の上を走っていくのが見えた。
「そっちには行くな!堤防が崩れたら、一緒に水飲まれるぞ!」
村人たちは、必死に叫んで、止めたが、権兵衛と母親が、下の堤防の方へ、どんどんかけていってしまった。
高みのほうに逃げて、どうなることかと、一晩過ごした村人たちに、次の朝、やっと水がおさまると、恐る恐る、村に帰ってきた。すると、権兵衛の堤防は、びくともせずに、村を自ら防いでおった。「よかった、よかった。この堤防のおかげで助かった。「と言いながら、村人たちは、権兵衛が走っていた、川下の方へ行ってみたが、権兵衛夫婦は、どこを探してもいなかった。そのかわり、堤防が、今にも切れそうになったあたりに、昨日までなかった、見上げるばかりの大石が、川っぷちにでんとはまり込んで、川の流れを、おしかえしておった。まるで石が、自分の体で、堤防の切れ目を、かばっているようだった。「これは、権兵衛どんたちが石になり、堤防を守ってくれたかもしれない。」誰言うとなしにそう言うと、その石で地蔵様を彫って、権兵衛夫婦をまつわることになった。石屋の金吉が、のみを持って、地蔵様を刻みにかかったが、不思議なことに、のみを持つ手が、勝手に動いて、たちまち、5メートルの見事なお地蔵さまを彫り上げた。そして、さらに不思議なことに、地蔵様が出来上がったとき、金吉は、満足そうな顔をして、死んでおった。「これは、えらいことじゃ。」と、村では早速、地蔵様を、町の寺に収めることにしたが、何しろ5メートルもあるお地蔵さまだから、運ぶにも運べん。
地蔵様を取り巻いて、どうしたものかと考えておると、不意に地蔵様が口を聞いた。
「オラ、自分で歩く。だけど、人に見られるのは辛いから、みんなの家の中に入ってくれ。」
村人は、たまげて家の中に飛び込み、ピタリと頭をしめて、息を凝らしていると、ドスンドスンと、地蔵様が歩き出す音が聞こえた。児童様は、一晩中歩き続けたが、何といっても、重いから重い体だから、なかなか道がはかどらない。白鷹町の玄僧坂(げそざか)までやってきたとときには、東の空が白みかけてきた。
「これは、急がなきゃ。それにしてもくたびれたから、ここらで一休みしましょうか。」と言って、立ち止まっていると、向こうから赤ん坊を背負った女の人がやってきた。
「これこれ、こんなに朝早く、どこへ行くんだ。」
と地蔵様が聞くと、女の人はびっくりして、「子供の足が立たないので、百日の願掛けしても今日がちょうど百日目。でも人に見られたら、ダメだと言うから、お地蔵さまにでおうたからには、ダメになったべはあ。」
と言って、悲しい顔をした。すると地蔵様は、でんと腰をおろし、赤ん坊を膝に抱き上げて、足をさすって言うた。
「よしよし。それでは、オラの足と、とりかえっこだ。」
途端に赤ん坊は、ケラケラ笑い、地蔵様の膝から飛び降りると、ちょこちょこ歩き出した。地蔵様のほうは、その時から動けなくなり、玄僧坂に座りきりになったそうな。
今でも、子供の足が立つようにと、お参りに来る人が大勢おって、お祭りの日には、大きな草鞋をお供えする。
  (おしまい)

赤小豆洗いぎつね
  茨城県
むかし、細谷通町という今は水戸市の新舟渡と御蔵との間の川ばたに、赤小豆洗いというところがありました。そのあたりに狐が住んでいて、雨の夜など、ザック、ザック、と赤小豆を洗う音がたてながら、
「赤小豆磨きましょか、人取って食いましょか。」
ある時、塩谷五郎次という武士が、夜更けに庭先でしょんべんをしていたところ、垣根の木陰から狐が出てきて、
「赤小豆磨きましょか、人取って食いましょか。」
と、歌いながらひょんひょんひょんひょんと跳ね上がって踊りだしました。五郎次もこれを見るとつりこまれて、同じように両手を高く差し上げ手首を折り曲げて踊りだしたから、狐はうまく五郎次を化かすことができたと思ったのでしょう。ひょんひょんひょんひょん踊りながらだんだんとごろつきに近づいてきました。
五郎次も踊りながら間合を測って、狐が跳ね上がったところをさっと刀でなぎはらいました。狐は、「ぎゃっ。」と悲鳴をあげてくれました。これを次は後も向かずにそのまま家に入り、翌日探しましたら、頭のはげた年老いた狐が胴を真っ二つに切られて死んでいました。
  (おしまい)

天狗松の話  昔々、高鍋の小丸に、1人の百姓が住んでおり、百姓は、5つの男の子が降りました。ある夕暮れ、男の子たちは、駄々をこね、母親を困らせました。気の短い母親は、たまりかねて、子供を外へ突き出したまま声を固く閉めてしまった。子供はしきりに泣き続けていましたが、しばらくすると、鳴き声が段々遠ざかった。母親が驚いてかけていくと、子供は庭の松木の上で泣いていました。
母親は顔色変え、早く降りてー、登ったままじゃ危ないよ。と呼びました。するとその時、何か黒い鳥のようなものがむくむく動き出し、その途端に子供の着物の付け紐が下がってきた。母親は慌ててそのツケ紐を握りましたが、何の手応えもない。そのうちに怪しい黒い鳥のようなものが子供を抱き上げたまま、するするとその高く舞い上がった。母親の手元には、着物からちぎれた付け紐が残ったばかりだ。母親はあまりのことに涙も出ず、ぼんやり立っていきました。そこに畑から父親が帰ってきました。母親は父親に恐ろしい出来事を話しました。2人は嘆き悲しみました。それから3年の月日が過ぎたある朝のこと、母親はうらの畑で大根を抜いてみると、お母さんよ、ご無沙汰していましたが、お母さんはお元気ですか。と高い空の上から声が聞こえてきました。びっくりした母親が空を見上げると高い空の中ほどに懐かしい子供の姿が見えました。戻ってきてくれたのか、さぁ、早く降りて、早く降りて。 お母さん、今日は天狗様の使いの途中だよ。 やっぱり、お前は天狗にさらわれたね。 お母さん、もう私は人間の子供ではない、天狗様から術をいただいたから人間の子供に返されるんですが、1つお願いがあります。あの庭の松木が枯れていて、大事にしてくださいと、あの松の木が栄ゆるかぎり、私もお母さんもお父さんもみんな達者で幸せにしてください。子供はもう別れの言葉を言い残すと、また東の空を目指して、家のように早くかけて行ったのでした。おい待ってくれ、待ってくれ。母親は、天狗になった我が子の姿を追いながら、いつまでもこう呼び続けた。それからと言うもの、この百姓の家の松の木を天狗松と呼ぶようになった。終わり

昔々、あるところに正直な婆さんが住んでいました。ばあさんの家には、1匹の犬を飼っていましたばあさんはこの犬をとても可愛がりどこへ行っても連れて行きました。ある日のこと、婆さんは犬を連れて、山の畑へ登りました。婆さんが、畑の草むしりをして、犬が吠えました。畑の片隅をしきりに足で書き上げていました。ここほれわんわんここほれワンワンと吠えた。そこで婆さんが畑の隅を掘りました。これは金のツボじゃないか。と、ばあさんはびっくりした。ツボの中からは宝物がどさりと入ってきた。婆さんは犬のおかげで急に大金持ちになりました。正直婆さんの隣には欲張りなおばあさんがいましたこれこれ小竹原さん、ここほれワンワンの犬を貸してくれないか。欲張りな婆さんは、そう言って、無理に嫌がるの山の後頃連れて行きました。おいはよ、ツボの中からは宝物がどっさりと入ってきた。婆さんは犬のおかげで急に大金持ちになりました。正直婆さんの隣には欲張りなおばあさんがいましたこれこれおたけ婆さん、ここほれワンワンの犬を貸してくれないか。欲張りな婆さんは、そう言って、無理に嫌がる犬を山の畑へ連れて行きました。 おいはよ、掘れ。ほれほれ。いくら欲張りな婆さんがけしかけても、犬は吠えません。ここほれわんわんここほれわんわん欲張りな婆さんはどこを掘っても何も出ませんでした。怒った欲張りな婆さんは、犬を殺してしまいました。 あー、かわいそうなことしたな。んん正直な婆さんは死んだ犬を持って帰りました。そして家の庭の隅に丁寧な埋めてやりましたすると、庭の隅からもくもくとにょきにょきとたけのこが出てきました。たけのこはぐんぐん伸びて家の上に出ました。とうとう天竺の金倉母を突き破ってしまいました。さぁ大変なこと。毎日毎日、天竺の金倉からたくさんの小判が落ちてきました。またまた、正直な婆さんは、大金持ちになりました。隣の欲張りな婆さんは、そっとたけのこを1本盗んで植えました。たけのこはぐんぐん伸びていきましたが、欲張りな婆さんは微笑んで待っていました。ところが、今度のたけのこは、天竺の便所を突き破ってしまった。どーんどーんと、欲張りな婆さんは毎日糞かぶりでした。そこで、この欲張りな婆さんは、どこかへ逃げていきました。人真似しても人真似しても糞をかぶる誰かがそう言って、欲張りな婆さんを笑いました。 終わり
 
黄金の精 昔々、あるところに一人の山伏が住んでいた、立派な白髭の山伏でした。この山伏は、黄金の壺のありかを知っていた。そこで欲深い村人が山伏のところへ黄金の壺のありかを聞きに行きました。すると山伏は笑いながら、 やめたいたほうがいいよ。黄金の精神に当てると、目がうつぶるがな。 と言いました。山伏さん、教えてくれよ。 と男は熱心に頼みました。しかし山伏は黄金の壺のありかを教えてくれない。あきらめられない男は、あちこちの裏を駆け回り、坪のありかを探していました。ところが白ひげのやまぼうしの方でも、よく金男がツボを探しまわっていることを聞くと、だんだん心配し始めた。この白ひげの山伏だって、黄金の壺を掘って見たくてたまらない。そこで山伏は、男と相談して、2人で壺を掘り出す約束しました。一本松目当てに朝日輝く夕日てるところ。これが山伏の指図でした。いよいよツボのありかの畑で掘リ方が始まった。深くなるにつれて、井戸のように水が湧き、たくさんの人手が必要だ。翼にくらんだ男と山伏は、自分たちの持ち金を投げ出して、ツボを掘り続けました。1日2日、ようやく2週間が経ち、ツボを入れた石櫃を掘り当てた。穴の底から人足の声が聞こえた。山伏どん、宝のツボがありました。と言った。待て待て、お前らは上あがれ。山伏と男は、縄ばしごをつたって穴の底へ降りていきました。2人は穴の底まで来ると、おい、命つぶれ。と言いあいながら、手探りで壺のふたをこじ開けようとしました。泥土で硬くしまったツボの蓋が、少し開きかかりました。その時、よく深な男が、 あっ! と悲鳴あげた。山伏は思わず目を開いた。二人とも黄金の精でメクラになってしまいました。恐ろしくなった人足どもは壺を見ようともせず、どんどん土を穴の中に埋めてしまった。黄金千無量。黄金の壺は誰も見たものはいませんでした。終わり

山ノ上の荒五郎
  (石川県の昔話)
むかし、輪島の山ノ上というところに、五郎次郎という男がおりました。
五郎次郎は怪力で、あたりに比べ者のないほどでしたから、村人は荒五郎と呼んでいました。荒五郎は小屋くらいなら、肩に乗せて楽に運ぶ事もできました。
ある日、荒五郎は村の家たちの戸を叩いて言い触らしました。
「明日は、蛇の池に行って、蛇の口とらえてみようか。お前ら、蛇の子を食ったことがあるか、俺は明日やってみせる。」
すると、どの戸口にも同じような返事がありました。
「ほんまにするのか、怪しいなぁ。」
そこで、荒五郎は名前に知れた強力者の手前、どうしても、やってみせぬわけにはゆかなくなりました。
夜が明け、荒五郎は蛇の池に出かけました。大手を振って、肩をいからし、胸を張りその格好は、まさに英雄でした。
あちこちの窓からこの英雄を見送る顔が見えます。
それから小半時もすると,荒五郎は蛇の子をぶら下げて戻ってきました村人はもう珍しそうに、荒五郎の家へついていきました。
家へ着き,荒五郎は村人の前で,蛇の子の串焼きにして食べました。
「どんなかな。」
「へぇ。」
というわけで、村人も今更ながら感心をしました。
それから2 、3日たったある晩こと、蛇の池の大蛇が荒五郎の家にやってきました。顔面を朱にして、ものすごい怒りの様子でした。
「荒五郎、お前の命はもらったぞ。この子の仇だ。」
「なんだと,やれるもんならやってみろ。」
荒五郎が言うと、大蛇はますます怒り,おどりかかりました。
その勢いが口に言われぬほど凄まじく、とうとう大蛇が真っ二つに割れて、家を一気呑みにしてしまいました。
何事も、ものに限りがあるものでした。
  (おしまい)

ムジナの失敗
 (石川県の昔話)
むかし、寛政の頃。
町野の鈴屋に男と娘がいて、2人はいつの間に仲良くなり、毎晩、宮森というところであいびきしました。
そのうち、娘は子供をはらんでしまいました。こっそり会っていたわけですから、親に知れると大変になります。
そこで娘が言いました。「とうとう、こんなことになってしもうた。死ぬより他に道は無いわね。」
すると、男が言いました。「お前に死なれたら、わしだって、生きる甲斐が無い。お前だけを死なそう。」
こうして2人は固く約束して帰りました。
やがて、約束の夜がやってきました娘が宮森のはずれに待っていると、男も姿を見せました。松の木の間に一本の縄をつるして、2人はその両足に首をゆわえました。1、2の合図で、2人は大石の上野から飛び降りました。ところが、不思議なことに、男の体が妙に軽く、そのため娘の足が地面についてしまいました。
娘は変に思い、空高く吊し上がった男をみれば、これはまた不思議、男のはずが男ではなく、1匹のムジナがぶら下がっていました。頭をぐったりされて、すでにこの世のものではありません。
娘はびっくり仰天、我が家へかけ戻りました。
ことの起こりは、このムジナもやはり娘に恋していたのでした。
ムジナは宮森の主でした。その晩、実の男が死ぬのを恐れて、約束の場所へ来ないのを知ると、男に化けて娘を騙そうとしたわけだ。
(おしまい)

福童丸
  (石川県の昔話)
むかしむかし、櫛比の庄鬼屋の神様が、ある日、寺中尾の福童丸を呼んでいました。」陸奥国には素晴らしい牛馬があるそうだから、買い入れてきてくれ。「そこで、福童丸は神様のおおせに従って、旅に出ました。陸奥国への道中は、聞いてたよりもはるかに長く、退屈でした。それでも国境が見えるあたりまでやってきました。
福童丸が陸奥国へ入ると、「福童丸、牛馬をひいて行ってください。去年は牛の年、今年は妙法蓮華の寅年。年も良いし日も良いぞ。」と誰かの歌声が聞こえました。
山を越え、ハララゴの入りと言う所へ来ると、出し抜けに、1人の男が現れて、
「わしは権太郎兵衛だが、お前はどこへ行くんだ。」と言いました。
福童丸が訳を話すと、権太郎兵衛は、「それは遠いとこ。さぁ、こっちへ来てこい。」と言って、千畳敷もある広い部屋へ案内しました。そこには蝶々や菊の花の形の珍しい栗の実が酒の肴に大和盛られて、その傍に、虎の木の根元ごとこしらえた大杯に、酒があふれんばかりたたえられてありました。
何十人の下僕が絶え間なく、福堂丸にかしずきました。福童丸は六七四十二杯も大杯をいただいてしまいました。
「権太郎兵衛さん、えらいご馳走になりました。」
「なになに、はるばる来てくれたからお前には、まだ、足りないと思うてるから、もっとやってください。」
「いいえ、わしはもう、こっちでたくさんでしたよ。」
「そんなら、福童丸、せめてはこれでも取っといて下さい。」
と言って、権太郎兵衛は金貨の298枚を差し出しました。福童丸は、いただいて、
「ところで牧場はどこですか。」と訪ねました。
権太郎兵衛は後の山を指して言いました。
「あそこへ行ったら、お前の好きのを、連れてください。」
そこで、福童のはツルツル山を登りました。1枚の扉を開けて、見たこともない見事な馬が立っています。2つ目は月輪のように輝き、前足ははるか飯の山の頂をカパカパと踏まえ、後ろ足を酒の泉を踏み下ろすと言う、誠に鬼屋の杜の神様がのりうつったかと思うような神馬でした。
次に、2枚の扉を開けて、これまた、素晴らしい牛がシロエという草の名前の米をニトリニトリかみしめております。
福童丸は傍のイイザサという笹の名前をはらいよけて、その牛に、「ヘンベイ」と問うてみると、
「コンメイ」と答えました。
これは不思議とまた、「ヘンベイ」と問うてみると、「コンメイ」と答えました。
福童丸はもう一度、イイザサをはらいよけて、「ヘンベイ」と問いました。
すると、牛は、「夏の日は照るに照る。月に3度の利益。」と答えました。
いよいよ、不思議に思い、イイザサをはらいよけて、4度と言いました。
すると、牛は、「権太郎兵衛の一人娘の婿になれ。」と答えました。
福童丸は大変喜ぶと今は再び、牛の様子を伺いました。
あっぱれ見事な足たちで目は月輪のように輝き、角の向きは風や火の禍(わざわい)を知らせるという。中でも、その尾といったら、まるで、法華経八の巻を押し下ろしたような、誠に神様らしい牛でした。 
これも、仏様の権現かとも思われた。
そこで、福童丸は、権太郎兵衛の、美しい1人娘を嫁にもらって、1枚の紙馬と2枚の羽塩買って、鬼の神様の下へ帰りました。それから、福童丸は美しい嫁と幸せに暮らしました。
権現の牛と馬は村の田んぼを耕しました。牛と馬は耕すとき、「一束四斗八升」と言いました。
すると、稲は木のように高く伸びて、黄金なす稲穂が実ました。おかげさまで、村がずいぶん栄えて、みんなの幸福な日を送るようになりました
今でも鬼屋神社のゾンベラ祭りで、このお話を囃子太鼓で舞い踊るそうな。
  (おしまい)





8:sisi :

2024/03/29 (Fri) 23:33:36

りんき梅
(三重県の昔話)
むかしむかし、一身田に地主であった男がいました。その男は長年連れ添った妻をよそに密かにもう一人の女の所へ通っていた。夫を愛していた妻は愛されている間は、そんな事は知らずにいたが、そのうちに夫の素振りの違いからなんとなくおかしい感じ始め、やがて、よそに思う女のいるところを知っていた。妻は嫉妬のために怒り狂い、挙句の果てに、刃物を持ち出、夫を殺し自分も小竹とした。とうとう夫を庭のすみの梅の根っこのほうに追い詰め、恨みを込めて刃物を吐きだしたのだが、夫は危ういところで体を交わし、梅の木の後ろへ逃れた。妻の突き出した刃物はズボリと梅の幹に突き刺さった。抜こうとしたが抜けない。それを見た夫は妻の念力の恐ろしさに身震いして、その場にへたりこんでしまった。妻はそのうちに我に返り、己の嫉妬の心の底深いことを知り、我が身を恥じ、そのまま夫の前から姿を消した。その後、発心して、専修寺に入り、刃物突きが出た梅を境内に移し植えて、りんき(嫉妬)の戒めとしたそうな。(おしまい)

(参考出典:東海の民話・語り継ぐ68話、中日新聞本社刊)

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